あけましておめでとうございます。
この一年が、みなさまにとって善きことの多い年となりますように。今年もよろしくお願いいたします。
年末年始は夫の実家がある福岡へ、久々に家族とゆっくりした時間を過ごすことが出来ました。「子どもの小さいうちは大変だからね、こんな時くらいゆっくりして」という義母の言葉に甘え、人見知りが始まった下の子(10カ月)をだっこしたりおんぶしながらの家事・育児、そんな日常から少し解放されました。
◆元旦の一日「長崎原爆資料館」で思うこと
福岡滞在中に長崎原爆資料館と、大刀洗平和記念館を訪ねました。長崎原爆資料館へは元旦に行ったのですが、多くの方が見学に来ていました。海外の方も多く、「核兵器のない世界を目指して」というブースでは海外の方がじっと展示ビデオに見入っていたことが印象的でした。ここには、一昨年の夏以来二度目の来訪ですが、その時よりも思考も感情も成長した上の子(小1)は、「熱線による被害」が展示されているブースで「怖い…。本当にあったことなんだよね? あの黒焦げなのが人間なんだよね…」。熱線により溶けたガラス瓶に触れることが出来るのですが、瞬時に溶けて固まった瓶に触れ「こんなになる位って、どの位熱かったんだろう」と言葉を詰まらせていました。
――戦争も核兵器も許してはならない。命あるすべてのものが生きる、この緑の大地を、地球を守ろう。
それぞれの「あの日」を生きつづける女たちの、たぎる思いをひとつにあわせ、再び、あの惨禍をくり返さぬ誓いをこめて、ここに像を建てる――
1987年に建立された「平和の母子像」に記された言葉です。敗戦後70年、日本が先の戦争への加害責任に、オキナワ・ヒロシマ・ナガサキの筆舌に尽くしがたい惨禍に、深く思いをいたし、曲がりなりにも守り続けてきた「平和」が、いま、現政権によって壊されようとしています。決して繰り返してはならない歴史に向わないためにも、「女たちよ!声を上げ続けよう」と、強くおもいました。
◆零式艦上戦闘機が目に飛びび込んでくる「大刀洗平和記念館」へ
夫の両親が教えてくれた大刀洗平和記念館へは、夫と、下の子(10カ月)を連れて東京へ帰る前日に。本物の零式艦上戦闘機32型を始め、当時の様子が伺える展示の数々に胸が詰まる思い…。ここは1916年に陸軍が計画し、1919年10月に完成した飛行場。東京-大阪-大刀洗-釜山-京城-大連区間の郵便・荷物・旅客の取り扱いも行うなど、当初は大刀洗飛行場があることで商店街なども活気に満ちいたそう…。その明るい街、一見平穏な街が、軍事基地であるがゆえに一変してしまう米軍による大空襲の様子や、特攻へ向かう、死を覚悟した若き兵士が大切な人へ残した手紙の数々にふれ、深い悲しみと大きな怒りがこみ上げてきました。
これからだという若い青年たちが次の日には命が散ることが決まってしまう。その時に命を授けてくれた親や、大切な人に残した手紙。死を覚悟し、大切な人を思う言葉の連なり…。ある青年は自分の髪の毛と爪を添えた。そうして敵船へ体当たりし、火花を散らしながら空へ散る。海へポタポタと沈んでいく戦闘機。その様子を定期的に上映されている映画で観たときに、命が消えていく場面だというのにあまりにも無機質で、つくりもので、ただ呆然と眺めていた私…。敗戦の色濃い当時、いつの間にか、空飛ぶ武器に人間が搭乗することが普通になっていったのだそうです。そこには命の重さを考えられなくなっていくことへの戦慄はない、恐怖も怒りも不条理も封じ込めてしまうおかしな状況…ひょっとして今の日本の状況と似通ってはいないだろうか、そんな気がして少し怖くなります。特攻・靖国・日の丸・日本・・・生々しい展示物の数々、亡くなった犠牲者や兵士たちの様子に、近代史・昭和史に少しく興味を持つ夫も言葉を無くしていました。
平和記念館を後にした車の中で、天皇が憲法について触れる発言をした(03年)ことや今の政治状況、戦争当時の軍・官・民の考え方、集団的自衛権や安保法制などについて語るともなく話し合うことに。戦争が物や生物を破壊し、多くの無辜の人の命を奪ったことは、つい先日の書き換えようのない事実です。戦争と言う名の大量殺人はともすれば美化されがちですが、無残で惨たらしいものでしかないと私は思います。二度と戦争が起こることのないように、私たち市民はなぜ、戦争が起こるのかをきちんと学び、戦争の中を生き抜いた人々の体験を今こそ受け継ぎ,正しく後生に伝えなければならないし、二度と戦争はごめんだ!と声をあげ続けなければならないとあらためて心に刻んだ福岡行となりました。
子どもたちが自由に走り回り、精一杯遊べる日々。子どもたちが学べる日々。子どもたちが満足にご飯を食べられる日々。子どもたちが穏やかに眠りにつくことが出来る日々。そして、子どもたちが将来への希望を胸に、夢を抱くことが出来る日々。人間生活が、子どもたちの日々の営みが壊されることのないように、私たちおとなたちは、最大限に努力し続けなければならないと考えています。<たなか・さやか>