反響の大きかった「おもてなし条例」その後。本当に必要でしょうか?
先日、このHPでお知らせした<『おもてなし』を強要する条例はアリ? ダメですよ。>に、多くの方から条例への懸念の声が届いています。条例の中身を読みたい、と言う声も多く、以下に内容を掲載します。
【品川区おもてなし条例(案)】(提出:自民党・子ども未来)の全文はこちら(PDF)
【品川区おもてなし条例(案)】(提出:自民党・子ども未来)の一部修正案はこちら(PDF)
本会議の前日に行われる議会運営委員会では、各会派からこの条例に対する懸念の声が多数あがりました。「『…しなければならない』という強い言葉に、違和感を覚える。自発的なものを強制させるべきではない」「義務を課している様に捉えられる」など、多くの異論が挙がりました。それに対し自民党・子ども未来は、「強い思いがそのような表現として表れただけで、決して押し付けるものではない。シティプロモーション的なもので、内外へのアプローチ・アピールになればという思い。理念的なものであり、努力義務、努力規定という、みんなでやっていこう、という思いで条例にしている」とする答弁を何度も繰り返し、挙句、「自民党・子ども未来で慎重に議論を重ねつくり上げた条例なので、文言修正は行わない。提出者も自民党・子ども未来の書かれているメンバーだけで変更はせず、皆さんには賛成者となっていただききたい」などという、不信感を感じざるを得ない、これが条例説明?!というものでした。
「理念的なものであるなら条例にする必要はないのでは? 宣言に留めておいても良いのでは?」「条例よりも宣言の方が市民の目にも届きやすいため、アピールにもなる」などといった他会派からの意見。あまりにも大きな自民党へのバッシング(もちろんこちらの方が正論。詳しくは後日公開される議事録をお読みください)に、公明党議員からはこんな助け舟が。「以前、『品川区文化芸術・スポーツのまちづくり条例』をつくったが、その条例により強制させられてスポーツをやらされたということでもないのだから、今回の条例をつくったところで懸念することなど何もない」(ならば、条例制定の必然などないことになりますよ~、これは私、田中さやかの心の声)。「内情的なものを条例で課す今回の条例案と、文化芸術・スポーツ条例は比較になりません」とは、民主党議員の反論。そして私は、区民委員会でも『文化芸術・スポーツのまちづくり条例』が引き合いに出されるかもしれないと考え、メモをとりました。
他会派からの猛反発を受けた条例は、頑なに文言は変えないと言っていた自民党・子ども未来が一歩譲り、「しなければならない」の箇所だけを「推進するものとする」と修正し、その条例修正案が私の在籍する区民委員会にあがってきました。
ほんの一部の修正だけでも印象は変わりますが、問題点は他にも多々あります。私はこの条例の話を聞いた時に「とても怖いな」と懸念を持ちました。そしてその懸念が、議運を傍聴したことにより、より強まることなりました。このような内心に踏み込むような条例を無自覚につくってしまうのであれば、今後、この条例を根拠に、人の思想・心情などを縛り付ける条例が、テーマを変え、為政者によきように次々と制定されていってしまうのではないか?ということです。
区民委員会の審議の中で私は、そのことに言及しました。
田中:文化芸術・スポーツの条例を例に出されましたが、そのようにこの条例がつくられてしまった場合、以後、この条例を根拠に様々に内心に踏み込むような条例がつくられてしまうのでは?ということを懸念しています。
委員:文化芸術・スポーツの条例を根拠にはしていない。おもてなし条例を作成するときに手本にすることはあったが。おもてなし条例を根拠に他の条例をつくることはない。
田中:それならそう条例の中に記してください。文化芸術・スポーツの条例でも「振興においては、区民等および団体の自主性が尊重されなければならない」と明記されており、それにより私たち区民は(曲がりなりにも、内心の自由が保障されており)安心できている。
委員:何度も言いますが、おもてなし条例の全体を読んでいただけたら強制ではないことは伝わる。
田中:いいえ、伝わらないから言っています。私たちにさえ伝わらない条例を、区民の皆さんが誤解なく読めると思いますか? せっかく区のためにつくり上げた条例であれば、区民も望んでいる条例だと言うのであれば、区民の誤解や不信感を与えてしまう書きぶりではなく、誤解のないように表すべき。もっと話し合い区民の納得する形に仕上げるべきです。
委員:先ほどから同じことを繰り返しますが、全体を読んでいただけたら分かります。「田中委員は主張ばかりで質問になっていない」(→この「主張」と「質問」の違いについては、ネットの前議員らからも言われていた言葉だったのでハッとしました!「確かに主張に重ねて質問にまで落とせていないのかもしれない」と。自分の論戦の不足に気づいた瞬間には違いなく、その意味では「自民党議員、ありがとうございました!」と言うべきところでしょうか。ただし、であれば本来議会のあるべき姿は何? 討議制民主主義の場こそが議会であり、特に硬直している品川区議会でようやく討議が可能な場が委員会ではないのか? 市民の意思をリサーチし、市民意思を根拠に主張し合い、質疑し合う・・・そういう場はいったいどこで実体化できるというのか? 「議会改革」の内実についても深く思いを致すやり取りではありました。)
このやり取りに共産党議員が補足として、「自主性に踏み込まない表現であるなら『努めるようにする』などの表現はおかしい。そしてなぜ、子どもに対して第4条でも第5条でも繰り返し明記しているのか? 先ほどから田中さんも仰っているように自主性に踏み込まないならそう明記するべきです。読めばわかるって区民の方は条例を読むのですよ? 今のままじゃ全く伝わりません。区民の方が議事録を読んで確認をすることがなく済むようにきちんと自主性に踏み込まないなど明記するべき。そして何より横暴だと感じます」と、応戦してくれる場面も。(→「主張」の次の踏み込みが大事ですね。毎回の委員会が、私にとって勉強です。)
このような議論を繰り返し、民主党からも質問は出たのですが、最終的に、反対を表明したのは共産党と、私たち生活者ネットワークだけでした。やりとりの中でも発言したのですが、自民党・子ども未来は本会議場での議案上程の説明に「区民の方たちも望んでいる条例」と発言していました。しかし、私たちに届く声は、福祉的な、または人権にかかる条例、地域からつくるセーフティネットをという生活者の日々を支える条例こそを求める声です。もてなしも大事なことかもしれませんが、今現在、日々の生活や日常に苦労している方がたくさんいます。納税義務の一方で、支援・救済が担保される地域社会づくりや、戦後70年を迎え、揺るがされている平和・人権、地方自治にかかる条例など、必要な条例・制度はもっとほかのところにあると強く感じています。皆さんの声をお聞かせください。<たなか・さやか>